「沈黙を破った台湾の阿媽たち」が今回のテーマタイトル、この「田舎町」で何人の人が関心持ってくれるだろう?という不安を抱えての開幕だった。「まだそんなことやってるの?」とさえ言われていた。
直前届いた写真は、目にした瞬間から私を強く捉えた。一人ひとりの阿媽が今ここにおられるかのような臨場感があった。柴さんの仲介で名古屋まで証言に来てくださった方、東京で一緒に食事した方、写真といただいた名詞が重なる、そうでない方々にも知己の感が沸くのはなぜなのだろう・・・・。長い苦悩と逡巡の末の「仮面はずし」の写真。そのお気持ちを決しておろそかにはすまい、と思いつつ、展示作業をすすめた。
◆旧日本軍世代の高齢男性は
三重県津市
台湾の阿媽の写真展を開催して
宮西 いづみ
不安をよそに、来場者は途切れることなく続いた。
新聞報道が出た2日目は、朝早々から旧日本軍人世代と察しがつく高齢男性の来場が続いた。この方たちの観方はそれほど丁寧ではない、ぐるぐるっと見回り、近寄ってきて異口同音に言われた。「台湾はええ、台湾はほんとによかった、○○(或る国の名前)は反抗的やったけど台湾人はよかったよ」「そうですか、なにがよかったですか?」「なにが、てあんた、そりゃ台湾はちがうさ、もともと親日的やし、今もそうやろ? 日本の言うことようきく(日本に従順の意)・・・・」そんな会話が続いた。ある方は「あかんなあ、この写真はあかん、みんな支那の名前やないか」「はあ?」「東京におる戦友に電話でこの写真展覧会のこと教えてやったら、そいつは終戦のとき台湾におったもので、オレの女の写真あるか見てきてくれて言うとった。それで探しにきたんやけど、支那名ではわからへん、しゃあないなあ」などとも。
◆若い世代がせめてもの希望
若い世代は、実に丁寧にキャプションを読む人が多かった。
「これ、日本がやった拉致よ」という若い女性の声のする方に目を向けると、小学校高学年くらいともう少し低年齢の二人の女の子を連れたお母さんだった。この世代の人が次の世代にこれは日本がやらかした拉致だ、と教えておられることに心が騒いだ。お母さんは勿論、幼いふたりの参観視線の真剣さに、敢えて声はかけず「ありがとう」と心の中でつぶやいた。あなた方のような人がいてくださることがこの国のせめてもの希望だと。
◆「否定」論調が蔓延するなかで
ここ十数年、日本の戦争責任を問ういろいろな展覧会をしてきた。絡まれたこと、嫌味いわれたこと、強く攻撃されたこと、性奴隷問題のときは恥じらいもなく、とも言われた。
今回、久しぶりの取り組みだったが、来場者の雰囲気というか姿勢に変化を感じた。
これだけ「否定」論調が蔓延しているのに、市民の側は、動かしがたい事実としてもう逃避を決め込もうとはしていないのではないか、という感じ。ただ今さら言われても、という時効感覚は確かにある。
「悪いことをしてしまった」という記憶をこういう場へ昇華しにくる感じの老人たち。今更、老妻には言えない、だけどやっぱり誰かには言っておこう、それがこの世への清算だとでもいうように、他人の私たちに、半分懐古談めかして「告白」していかれる・・・・・そういう感じの方も4人ほどあった。奇跡的に9死に1生を得て今生きている、戦友はみんな撃沈されて死んだ、と自らの青春の悲惨を語りつつ、インドネシアはよかったよ、女の子たちも仲良しになって、喜んで「付き合って」くれた・・・・などとも。
命令者の罪、実行者の罪ということばが頭の中で交錯したけれど、90近い年齢で「日本で苦労しとる外国人に日本語教えるボランティアしとるんや、週一回だけやけど、わしの人生の最後にせめて、と思うてな」と言う人に「せめて何?」「何の罪滅ぼし?」とまでは迫れない弱い私があった。
何にでも言えることかもしれないけれど、今回もこの写真展をやったことで私の得たものは実に大きかった。この機会をくださった台湾婦援会、日本の支える会に大きく感謝しています。
05年9月22日から26日まで、三重県津市で台湾の日本軍性暴力被害者の今を撮った写真展が開催されました。
この阿媽たちの写真は、05年8月、台湾において戸外において1ヶ月近く展示されたものとサイズこそちがいますが、同じ写真です。
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